どう生きてきたか、どう生きていくか

 

小学生のころ、目の前には無限の明るい道が広がっていて、自分は、仲間は、どんなすごい人物になって、どんなすごいことを成し遂げるんだろう、って思ってた。

 

幼稚園、小学校と同じ時を過ごし、中学高校大学は別の道を進んだ仲間と今日呑むことになってずっと考えていた。

 

彼女とは、小学校の高学年のころかなり仲良かったし、互いに互いのことを(自分で言うのは口幅ったいが)尊敬しあっていたように思う。

私立の中学に行ってそれからはほとんど付き合いはなかったものの、母親同士が仲良かったし、中学の頃と高校のときは何か節目の時は連絡を取っていた。

 

 

今日は、自分のもっとも中のいい友達の一人と3人で会った。

彼は、彼女と幼馴染で小さい頃公園で遊んでいたことはあったようだが、二人ともあまり記憶が無いようで、そのあとは親同士が仲良かったこともあり子供同士も会うことはないものの、何となく連絡を取り合っていたみたいだ。

自分と彼は中学3年間をバカなことばかりしながら共に過ごし、何だかんだで最近は月1くらいのペースで会う「馴染み」の仲という感じ。

 

つまり、今日の3人は、3人で同じ時を過ごしたことがないながらも、それぞれ別々に幼馴染っていう不思議な3人だった。

 

どうなるかと思ったし、実際昔話くらいしか共通の話題がないわけで、話題に詰まることもあったし、「小盛り上がり」だったという感じだった。

 ある程度そうなることは予想していた訳で、それでも、彼女が「過ごしてきた時間は大変だったけど、充実していた」って言ったり、今も彼女らしく頑張っているようで、何かホッとする思いがした。

「女子校のいじめは壮絶だったけれど、女の中で生き抜く術は身につけられた」という言葉は、彼女の矜持を表す重い一言だったんじゃないかな。

 

そんな彼女をみながら、自分のことを振り返ると、少し不安というか、情けない気持になってしまった。

 

まず、彼女の質問に慌ててしまったもん。

「休日なにやっているの?」

何故か、答えられなかった。寝るのは大好きだが、本はそれなりに読んできたし、楽器弾くのも好きだし、カメラだって、旅行だって、温泉だって、野球だって大好きだし、卒論だって書いてるし、「人並み」ではあると思う。でも、なんかショボイ感じがした。

 

それは、たぶん理由があるんだと思う。

確かに、その瞬間瞬間を一生懸命フルパワーで生きてきた、という事だけは胸を張れる。けれど、受験だとか友人関係だとか、大学の業績とか、個人の能力を上げる事とかで、すべてで全然結果を残すことができず、小学校の頃思い描いていた自分より、小さくてショボいようにどうしても感じてしまった。結構ショックな思いがする。これがすべてだった。

 

実際、今の彼女に、今の自分がどう映ったのか、ということは、怖くて聞けないが、とても気になるところだ。

 

同時にこれを書いていると、人生まだ始まったばかりじゃないか、とも思う。

まだまだ、二十歳を少し過ぎたばかりだもの。

どう生きてきたか、よりも、どう生きていくか、ということのほうが数倍大事なことだ。

 

この悔しさだけは忘れない。いつかもう一度彼女と再会できた時に、今度こそ胸を張って会えるようにしたいと、ここに心から誓う。